4 3、の続き。母は遺産を全て寄付するんだって。
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「私が死んだら、遺産は全て寄付するから」
突然言い放たれた母からの言葉に、私は愕然とした。
涙がこらえられなかった。
これだけをきくと、いや、この話を最後まできいてみても、「なんと強欲な女だろう」と、読者の方に私は思われるかもしれない。けれど、私には私なりの複雑な想いがあった。
それが世間一般でいう「世間しらずの強欲なお嬢様」であろうとなかろうと、私はその世界しかしらず、「そこそこお嬢様の苦しみと恩恵を一心に受けて育ってしまった人格」であり、それをいまさら変えるのは非常に大変(というか不可能)なのである。
なぜ、母の言葉にこれほどまでに同様したのか。私は属に言う、「バカで派手なお嬢様」とはちょっと違うと自分では思っている。親のすねをかじってブランドもので身をかためる芦屋の女子校のギャルたちを、どこか鼻でわらっていたし、私は親にブランドものをねだる事もほとんどなかった。
それは、家の財産を守りたかったからである。無駄なものに家の財産が消える事が許せなかった。
私は今はOLをしているが、OLで得たお金はいくらでも無駄遣いできても、家のお金は無駄遣いできない。それほどに家のお金というのは私の基盤であり大切なものであった。
だから、私は表面上お嬢様ではあれど、弟や、親戚(母親は親戚の面倒までみて、家まで建て、仕送りまでしている)は、お金持ちの恩恵をうけているけど、私は最低限の(しかも親のエゴでのピアノ、受験など)にお金はかけてもらえど、それ以外は他の親族に比べれば、あまり金銭面ではお世話になれなかった。私はとても不平等であると感じていたが、まあ、こういうものだとあきらめてもいた。元々お金にそこまで興味がないからかもしれない。
けれど、ここ最近である。
「私はきっと、お金をかけずに飼い殺しにするための、単なる母のペットであり介護要因であり束縛と嫉妬の対象なのである」と、思い始めたのは。
「私が死んだら、遺産は全て寄付するから」
この言葉にひどく傷ついたのは、あまりにも「むくわれない」と思ったからである。私は、お嬢様として、箱入り娘として、やりたいこともできず、こんなにも強い自己顕示欲と夢を散々つぶされ、親のエゴにより可能性の芽をつまれ、親の想い通りに生きてきた。
バレーボール部に入りたいというと、指を骨折したらピアノがひけなくなるから駄目だと否定された。作曲家を目指して東京にいくといったが反対された。留学したいといったが、弟が留学してるのでと反対された。私宛の郵便物は、成人したあとも親が勝手にあけていた。彼氏ができると分かれさせやのように干渉してきた。社会人になっても外泊をすれば「アバズレ」とののしられた。親は私をピアニストにすべく音大にいれたかったので、それ以外の夢は全て否定された。
でも、それは箱入り娘の宿命だと思っていた。私はその分、良い暮らしをさせてもらっているのだから、我慢すべきなのだと思っていた。これだけ我慢したのだから、、、と思っていた。
だからこそ、
「私が死んだら、遺産は全て寄付するから」
この言葉にひどく衝撃をうけたのである。私以外の人はわからないかもしれない。けれど、私はお嬢様としてのデメリットばかりをいっしんにうけ、それにもかかわらず、お嬢様としてのメリットは与えられないのである。これまで、生きたいように生きられなかった。それで、さらには遺産は見ず知らずの誰かに寄付されて、
ここまで箱入りに育てておいて、男やその他の人間関係にも干渉していろいろなものを私から奪っておいて、最後には野放しである。
私は本当に、母に愛されていたのだろうか。
お金じゃない。いや、もはやお金の問題でもあるが、それ以上に私は、きっと本質的に母に愛されていなかったのだろう。そう悟った。私はきっと母にとって、想い通りになるお人形でしかなかったのだ。そして、そう思わざるを得なかった事件は、今回ばかりでなく、これまでに幾度かあった。だからこそ、私は悟ってしまったのである。これまでの幾度となく繰り返された「実は愛されていないかも事件」も相まって、私はもしかしてもしかすると、母親のことを「金づる」としか見る事ができなくなっているのかもしれない。だって、そうでもないと、「遺産は全額寄付するよ」と言われただけで、ここまで悲しがり悔しがる娘などおかしいではないか。私はその、自身の深層心理「親は金づる。愛してくれないなら、金づるとしての価値しかない。」というものに、気づいてしまったことにも、非常にショックをうけたのである。
私は母親に無償の愛を与えられて育ったと思っていた。だが、それが崩れた瞬間に私の中に浮かんだ言葉は「親なんて金づる」である。なんと悲しいことだろう。わからない。色々なことがわからなくなってしまった。