お金持ちお嬢様のキラキラ日記

お嬢様の悩みなんて、きっと誰も分かって下さらないでしょうね。

2 自慢じゃないけどそこそこのお金持ちです。

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涙腺を親に刺激された話は、後にとっておくことにしよう。

 

とにもかくにも私のバックグラウンドを説明したい。それから、涙腺を刺激された話をした方が、皆さん、すこしばかりは受け入れやすいだろうと推測するからだ。

 

私はそこそこ裕福な家庭に育ったいわゆるお嬢様、いわゆるドラ娘である。父は亡くなる前は一流商社で重役を担い、その後独立して会社を大成功させた。もちろん私は10歳でその父と死別しているので、詳しい事は分からないのが残念であるが、とりあえず「凄い人」であったらしい。その証拠に、父が努めていた一流商社の社長やその他色々な社員の方にも、「あの方の娘さんか」等といわれることはよくあるし、どうやら莫大な遺産も残してくれたようで、地元の一等地には5億円かけてつくられたというお城のようなお家が、そして都内の一等地にはマンションをいくつも所有している。さらには私はピアノの英才教育をうけ、塾に通い、中高一貫の、まあそこそこのお嬢様学校に通い、大学は私立の大学にいかせてもらえた。ピアノはグランドピアノとアップライトが両方ある。私のためだ。スタンウェイという超一流ブランド。しかも、象牙を使った鍵盤で、キラキラとした音を奏でる最高級ピアノである。

 

私は親のエゴでピアノをしていたため、とくにスタンウェイの素晴らしさはわならないし、キラキラというあまりに安価な言葉でしか、その音色を表現できない。きっとピアノたちも、こんな小娘に弾かれるために私たちは産まれたんじゃない、と、さぞかし嘆いていることだろう。大きな舞台で脚光を浴びながら、今をときめくプロに音を奏でてもらうべきピアノは、いま、我が家のオブジェと化している。

 

可哀想に。

 

そして、弟はといえば、中学のころから、やれイギリスや、ニューヨークや、色々なところに留学し、教育費だけで一軒家がたつのではないかと思うほどだ。まあ、全部親のエゴなわけだけれど。感謝はしているけど、やりたいことは何もできなかった。はたからみたら、何不自由ない生活で、毎日美味しいものを食べて、親のすねをかじりまくっている私たち姉弟は、「どうしようもないドラ娘とドラ息子」なわけだけれど、まあ、それにはそれなりの大変なこともあるのだ。しかも「ズバ抜けたお金持ち」というわけではないのでやっかいなのだ。私は父親がいない分、そして弟に莫大な学費がかかっている分、ある程度金銭面には気を使って生きてきたつもりである。家のお金を減らす事は極力したくなかったので、ドラ娘なりに大学時代はバイトもしたし、ドラ娘なりに就職活動もし、内定もゲットした。

 

父親のおかげ、そして、その人脈が母にも引き継がれているおかげで、コネで就職することもできたのだけれど、「親に入れてもらったから辞められない」なんて思いたくなくて、せめて就職してからぐらいは、親から切り離された世界で、私自身が決定権をもって人生をやりなおしたかった。だから、親にはコネ入社は頼まなかった。これが、初めて親に頼らずなし得た私自身の決定かもしれない。私は本当に嬉しかった。親のエゴの中で生きるのはもうたくさんだった。

 

やりたいことが、何もできなかった。その中には、10代のうちにしかできないことも、たくさんあった。

 

やっておけば良かったと思う。時既に遅し。私は呪縛の中で生きていた。そして、今私は呪縛をとくために生きている。もともと呪縛のない人の生き方を私は知らない。私には自由が似合う。だから、お金の面では感謝はしつつ、私は母を、母の教育を、少し恨んでいる。